プーチン氏、領土問題を見通しながら、日本大使に抜け目ない人事を配置
ロシアでは8月18日のイワノフ氏更迭し、プーチンはアントン・ワイノ氏をその後釜に据え付けた。
ワイノ氏とはどんな人物なのか、ロシア語のスペシャリストで元時事通信社外部長の中澤孝之氏の
レポートを以下引用してみる。
(ロシアの秋は想像する以上に早い。はっきり言って秋の到来を自覚するより前にいきなり冬になってしまうことの方が多い)
ロシア大統領府長官に知日派アントン・ワイノ氏
ロシアのプーチン大統領は8月12日、大統領府長官セルゲイ・イワノフ氏(63)を更迭し、副長官アントン・ワイノ氏(44)を昇格させる人事を断行した。プーチン大統領(63)と同じ、サンクトペテルブルク大学卒業で、旧ソ連の国家保安委員会(KGB)出身のイワノフ前長官は、大統領の側近中の側近で、2000年の政権発足以来、安全保障会議書記、(初の文民)国防相、副首相、第1副首相などの要職にあって、いわゆる「シロビキ」人脈の筆頭として、プーチン、メドベージェフ政権を支えてきた。
この大物の事実上の解任の意図についてはさまざまな憶測を呼んでいるが、過去1年間のウラジーミル・ヤクーニン(ロシア鉄道社長・68)、アンドレイ・ベリャニノフ(連邦税関局長官・59)、エフゲニー・ムロノフ(連邦警護局長官・70)、ビクトル・イワノフ(連邦麻薬取締局長官・66)らプーチン側近で有力者たちの更迭と合わせて、9月の議会選挙と18年の次期大統領選挙を見据えた大統領による「実務能力本位の若返り人事」と受け止める向きが多い。
メドベージェフ大統領時代末期の11年12月、第13代大統領府長官に就いたイワノフ氏自身は、「4年の在任期間というのが12年初めの大統領との約束だったが、既に4年8カ月が過ぎた」と述べた。対外経済銀行勤務の長男アレクサンドル(当時37歳)が14年11月、休暇でアラブ首長国連邦を訪れていた際に溺死したあと、イワノフ氏は一時健康を害して、何回か個人的な理由での退任を大統領に請願していたといわれる。
アレクサンドルは05年5月、モスクワ市内を運転中、横断歩道を歩いている68歳の男性を轢き、死亡させるという事件を引き起こし、政府高官の息子の刑事事件として話題となったことがある。半年後に不起訴となったため、政治力で事件をもみ消した疑惑がもたれたが、父親のイワノフ氏(当時国防相)は、息子を助けるための工作など何もしなかったと言明した。次男のセルゲイ氏(80年生まれ)は今年4月からズベルバンク(貯蓄銀行)の上級副頭取の要職にある。
長官退任後のイワノフ氏は、環境問題、交通運輸担当の大統領特別代表を務めるかたわら、特に、従来から関心のあるアムールトラやヒヨウの生息環境改善など、自然保護活動に従事するという。ついでながら、イワノフ氏は北方領土を4回訪問している。
今回の大統領府長官人事は日露関係には直接の関係はないと見られているが、イワノフ氏の推薦で昇格したワイノ氏の新長官就任で、ロシアの対日政策に変化が表れるのかどうかに注目が集まっている。
というのも、ワイノ氏はクレムリンの要人の中で数少ない「知日派」の一人だからだ。名字からして、ロシアではなじみが薄い。今はロシアとの関係が余りよくないバルト3国(04年そろって北大西洋条約機構[NATO]に加盟)の一つ旧ソ連エストニア共和国の首都タリン出身。つまりエストニア系である。
アントン氏の祖父はブレジネフ時代からゴルバチョフ政権までエストニア共産党第1書記(1978−88)を務めたカール・ワイノだ。共産党に対抗するエストニア人民戦線が創設されたのが88年4月。6月16日、カールはゴルバチョフ党書記長によって第1書記を解任された。父親エドワルド氏はソ連外国貿易省に勤務中、東京の通商代表部に在勤した。その後、ソ連時代に乗用車「ジグリ」(のちの「ラーダ」)を生産してきた自動車会社「アフトバス」の在米支社長を経て、09年以降、現在も同社対外担当副社長の重責にあり、ロシア連邦商工会議所キューバ・ロシア・ビジネス会議議長も務めている。ロシアの「ベドモスチ」紙は、「(アントン・ワイノ氏は)ソ連時代の党幹部の血を引き、個人的にはプーチン氏に忠実な人物」と評した。
「私への信頼を有り難うございます。大統領府の最も重要な仕事は、国家元首としての法律起草の面でのあなたの行動を支え、あなたのご指示がどのように実行されるかを管理することであると思います」ー就任直後のワイノ氏の大統領への言葉である。
72年2月17日生まれのワイノ氏は、10代前半に父親とともに東京に住み、ソ連大使館内の学校に通った。日本語の授業もあったが、成績は優秀で、日本の文化や歴史にも強い関心を持っていたという。帰国後、ロシアの外交官を多数輩出してきたモスクワ国際関係大学(MGIMO)国際関係学部を96年に卒業後、外務省に入り、すぐに東京の駐日ロシア大使館に勤務。今もロシアの日本通として知られるアレクサンドル・パノフ大使(当時)によってその能力が認められ、大使秘書として働いた。00年7月のG8九州・沖縄サミット参加、および同年9月3日ー5日の初公式訪日(当時の森首相と会談)の際、プーチン大統領の世話係をした。このとき、大統領に高く評価されたことで、ワイノ氏の将来が決まったといわれる。当然ながら日本語が達者で、英語もこなせるという。ワイノ氏は経済学の修士号も取得したといわれる(筆者注・このことは、後述の難解な学術論文と関係するのかもしれない)。
ワイノ氏は01年まで約5年間、東京で在勤したのち、本省に戻り、第2アジア局で働いたあと、02年ロシア大統領府儀典局に移り、副局長、第1副局長と昇格。さらに、プーチン氏が首相になる(08年5月)前の07年10月からロシア連邦政府官房副長官、首相府儀典局長兼内閣官房副長官、連邦大臣兼内閣官房長官を歴任し、プーチン氏が大統領に再任した直後の12年5月、大統領府副長官に任命された。長官就任と同時に、ロシア連邦安全保障会議常任メンバーにも就く。既婚で、一人息子がいる。
ワイノ氏の略歴を見る限り、政治歴の背景や性格が前任者たちと全く異なる。対外的に強硬派と見られたイワノフ前長官との比較で、ロシア紙「ノーバヤ・ガゼータ」は、「彼は効率を追求するマネージャーであり、陰謀を避ける穏やかな官僚だ。彼の登場は(ロシアの)攻撃レベルの減少に導き得る」と解説した。また、日露首脳会談の準備でワイノ氏と交渉した日本の外交官の一人は「日本語も達者で折り目正しく、まじめに仕事に取り組んでいた」との印象を持ったという。
元クレムリンのアドバイザーだったグレプ・パブロフスキー氏は「ワイノ氏の長官任命は悪くない人事だ。彼は政治家ではない」と述べるとともに、「一方、イワノフ氏は引き続き安全保障会議にも席を置き、ある程度の影響力を持ち続けるだろう」と予測した。また、政治評論家のアッバス・ガリャモフ氏は「ワイノ氏はイワノフ氏に比べると、タカ派ではない。優れたマネージャーとしての評判がある」とコメントした(「ワールド・ニューズ・レポート」8月12日)。
「政治的に無名の人物がいかにしてロシアで3番目の実力者となったか」のタイトルでRD(8月16日)に寄稿したのはマリーナ・オブラズコワ女史(政治・社会問題専門ジャーナリスト)だ。オブラズコワ女史は政治経済情報機関のドミトリー・オルロフ所長などの言葉を引用して次のように書いた。
「これはよい人事だ。大統領府の仕事は効果的、適切な方法で進められるだろう。ワイノ氏は政府官僚の代表たちと良い関係にあり、今後、問題は起きないだろう。彼はイワノフ氏のような大統領府の政治的なトップにはならないと確信する。彼は、言葉の良い意味で、卓越した官僚だ。このことは大統領府をより効果的、機能的にするに違いない。ワイノ氏自身既に、自分にとって肝心な目標は、大統領の指示や命令の完全な履行だと述べている。これこそ大統領府の仕事の質を高める主な要因となるだろう。ワイノ氏が特別の政治的な顔を持っていないとしても、それは彼が管理スタイルに欠けていることを意味しない。これはプラスの要因なのだ」
「ワイノ氏の同僚たちによれば、彼は有能だが、控えめな男だという。平静さ、友情、慎重さといった美点は、その管理スタイルにうまく溶け合うだろう。彼は勤勉であり、精力的だ。彼は異なった範囲、尺度の目標を決め、それをコントロールすることができる。ワイノ氏は第1級のマネージャーである。その出世のスピードも速い。ロシア政治における異動は普通は極めて保守的だが、彼はトップ90からトップ20に素早く駆け上がった。これは彼が権力構造の中で重要な地位を占め、大統領が彼の仕事を高く評価している証拠だ。専門家たちはワイノ氏の影響力の増大に驚いていない」
「一方、ロシア政府付属財政大学政治研究センターのパーベル・サリン所長は、『大統領インナーサークルの信頼されたメンバーとしてワイノ氏は極めて強力な政治家であり、政策決定のプロセスへの影響力をもっている。対照的に彼はまた、クレムリンの内部作業の知識にもかかわらず、真のテクノクラートである。彼はプーチンの前の副官(Putin’s former aide−de−camp)だと言えるかもしれない。彼はあらゆる技術的な機能をこなすプロトコールの長であった。彼は大統領の動向にアクセスできた。影武者でありながら、彼は大統領府のあらゆる事情を熟知している。ワイノ長官就任で大統領府の意味合いが変わるだろう。大統領府の役割は減少するだろう。同時に、一般的に安全保障会議や法執行機関の役割が増えるだろう。従来、政治は大統領府の領域だったが、いまや政治問題はニコライ・パトルシェフ(安全保障会議書記・65)の組織のコントロール下に置かれる。また、大統領府長官、副首相を務めたあとモスクワ市長(10年10月−)に転身したセルゲイ・ソビャニン氏の例もあり、大統領府の更なる人事異動も予測される』と述べた」
論文「プーチンの参謀長の辞任は単なる政治的ルチーン(手順)」をRD(8月14日)に寄稿したドミトリー・ポリカノフ「3者対談国際クラブ」議長によれば、ワイノ氏は長官任命後すぐに大統領にアクセスし、執務日程を決めたという。大統領への訪問客の流れを調整するプロトコールの仕事を早速そつなくこなしているようだ。ポリカノフ氏はワイノ氏について次のように書いた。
「ワイノ氏は権力を乱用したことは一度もなく、政治的なスキャンダルや陰の権力ゲームに巻き込まれていると指摘されたこともない。彼は異なるビジネスにも、大統領府内の権力グループにも等しく距離を置いている。彼は現在のロシアのオリガルヒ(新興財閥)の一人セルゲイ・チェメゾフ氏(筆者注・KGB出身)との関係を噂されているが、関係があったとしても弱い。チェメゾフ氏はロシアの防衛産業における最高の実力者で、ロシアのハイテク企業「ロステク」社長である。ワイノ氏はチェメゾフ氏の特別な利害のロビストではない。チェメゾフ氏は大統領と直接の、信頼されたアクセスを活用している」
「一方、ワイノ氏の中立性とテクノクラートとしての背景は、プーチンにとって二つの理由で好都合なのだ、第1に、ワイノ氏は暫定的な長官で、1、2年のうちに、政治により大きな影響力と利害を持つ別の人物と交代させられるだろう。第2に、大統領府は徐々に政治的な重要性を失い、ますます技術的、行政的なスタッフの集まりとなる。プーチンは結局、痛みの伴わない権力委譲のため安定した組織を必要としている。このことから、プーチン氏は当然ながら、次の大統領任期中に、政府や議会といった他の機関の強化を決めるに違いない。これはリスクを減らし、システムをより安定したものにするだろう」
「18年の大統領選挙を控えた政治的な駆け引きは既に始まっている。そのプロセスの一部として、明らかになるかもしれないのが、17年9月に議会と大統領の同日選挙をプーチン大統領が決めることだ(筆者注・従来の例に従えば、17年末に議会選挙、18年3月大統領選挙を実施)。新大統領として、プーチンは、より良く働き、さらに説明責任を持ち、全般的システムを守ることに既得権益を有する人びとを必要としている」
ワイノ氏は既述のように、日本勤務を終えてから儀典部門を歩んでおり、対日政策の立案など日露関係に直接関与することはなかったようだが、プーチン大統領の年内訪日に向けて調整が進む中、今後、対日外交の新たなキーマンとなり得る新長官がどのような役割を果たすのか見守りたい。
ところで、ワイノ氏は役所勤めをしながら、「AEワイノ」の名前で数々の学術論文を書いていたことが明らかになった。8月19日の英BBC「ヌースコープ・ミステリー=プーチンの新人アントン・ワイノの奇妙なデバイス」によれば、ワイノ氏と論文の筆者「AEワイノ」が同一人物であることの確証を得ているという。
BBCが特に注目したのは、12年に学術経済誌「経済と法」で発表された 「The capitalisation of the future(未来の投資)」というタイトルの論文だ。その中で「AEワイノ」は、「現代の社会と経済は、伝統的手法で制御するにはあまりにも複雑になりすぎる」として「統制と管理の新しい方法が求められる」と主張。「Nooscope(ヌースコープ)」という新たなデバイスを提唱した。これは世界の膨大な出来事を処理・解釈するための装置で、「世界意識に入り込み、生物圏と人間の活動における変化を発見・記録するためのデバイス」だという。
「インフォシーク・ニュース」(8月27日)によれば、問題の論文は、全体を通して極めて難解なグラフや図表で埋め尽くされており、「私たちが想像の世界ではなく現実の世界に生きているなどと、誰にも証明することはできないー」といった記述まであるという。BBCは、複数の専門家に解説を求めたが、「社会を理解し、組織化するための新しい手法を提唱しているようだが、とにかく理解不能である」と全員がサジを投げたとのことだ。
BBCは、論文の共著者の一人である高名な経済学者兼実業家ビクトル・サラーエフ氏にも接触して、「ヌースコープ」の謎について聞いている。サラーエフ氏は「(ヌースコープは)あらゆる人、モノ、金の動きをスキャンするデバイスであり、我々はアイザック・ニュートンの望遠鏡発明やアントニ・レーウェンフックの顕微鏡発明(筆者注・実際は改良)にも匹敵する画期的な発明をした」と説明するにとどまり、それが実際に存在するのか、開発中なのかなどについての詳しい言及は避けたという。
この「ヌースコープ」論文については、ロシアの「モスクワ・タイムズ(MT)」紙も「不気味な科学と新長官」(8月30日)のタイトルで取り上げて、論文掲載の複雑な図表も転載し、ロシアの識者のさまざまなコメントを紹介した。「コメルサント」紙によれば、11年12月から12年5月の間、つまり大統領府副長官に任命される前の約半年の間に、ワイノ氏は「経済と法」誌にいくつかの学術論文を発表していたという。話題となった論文はそのうちに一つのようだ。
MTによると、モスクワの高等経済スクールのキリル・マルトイノフ教授(哲学)は「(ヌースコープ理論)は科学とは無関係であり、基本的にはナンセンス」と切り捨てたうえに、しいて「科学」と言うのであれば、『aboriginal science』だ」と語った。これはオーストラリアの先住民「アボリジニ」からきた造語で、マルトイノフ教授は「aboriginal scienceにおいては、人びとは普遍的な科学と無関係だが、自分たちの目標を達成するのに便利な図式を使いながら、科学的活動を真似るのだ」と説明した。あまりにも分かりにくいため、ヌースコープ理論に対する評価は芳しくないようだ。 (了)
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