トルコのエルドアン、自分のやったことの重大さにそれほど気づかず。
Putin claims US ‘leaked’ flight path of downed Russian jet to Turkey
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ノーベル文学賞受賞スベトラーナ・アレクシェービィッチ氏の
『チェルノブイリの祈り 未来の物語』、『戦争は女の顔していない』
その他について
以前HPで『キューバの医療施設と福祉政策』について述べることをお約束したが、2015年10月にノーベル文学賞受賞者の名が発表されたので急きょその話題を取り上げ、『キューバ~』については別の号でお知らせすることにする。
さてアレクシェービッチ氏については1998年岩波書店から初訳が出たが、その内容の重大さに比して日本ではそれほど大きくとりあげられてはいなかった。
日本がフクシマの大惨事を経験して改めて原発事故を受けた人間の苦悩に焦点を当てられてから見直されてという経過がある。
これまで同氏の5作品が日本で翻訳されている。うち、『ボタン穴から見た戦争』、『死に魅入られた人々』、『戦争は女の顔をしていない』(三浦みどり訳)の三作品は群像社から2000~08年にかけてそれぞれ3000から4000冊出版されている。
アレクシェービッチ氏はデビュー作『戦争は女の顔をしていない』(三浦みどり訳 群像社)やその他『ボタン穴から見た戦争』(三浦みどり訳 群像社)で第二次世界大戦をとりあげ、
対ヒットラー戦を戦った英雄としてのロシア人の言説が如何に虚飾にまみれた嘘偽りのものであったかを自ら作品をもって赤裸々に語った。
文学の手法としてはジャーナリストとしての氏特有の立場を利用して数百万人の人にインタビューした記事を集大成したものである。
インタビューの初めには他人行儀で始まるが、インタビューするにつれてインタビューを受ける側とする側がすっかり打ち解けてまるでよき理解者として他人ではなく身近な愛しい人としての関係性が生まれる。
戦争に参加した女たちの多くは志願兵として採用され、それまで受けた社会主義思想の下に祖国に尽くすという定式通りに動くが、その戦争に参加していく過程で様々な生身の人間としての苦悩を描き、また軍隊における女性の特殊な位置づけが描かれ、男性の兵士と同様悲惨な体験がリアルに描かれ、決して大祖国戦争を経験し、称賛されている兵士達の生きざまの内実が絵に描かれたように美化されたものではなくむしろ矛盾と過酷さの中で戦った事実が赤裸々に語られている。
多くの女性兵士は称賛を得たが、現実には男性からは結婚も避けられ、一生ひっそりと独身ですごし、世間からも偏見の眼でみられたことも語られている。
『アフガン帰還兵の証言―封印された真実』(三浦みどり訳群像社)の中では戦場に赴いた兵士が帰国後発狂したり、崩れて生前を忍ぶこともできないむごたらしい死に顔を棺の中に見出す母親たちの深い嘆き・慟哭と国に対する絶望的な憤りは国が違えども同じアフガン帰還兵を迎えたアメリカの母親たちと同じ思いであり、帰還兵が麻薬に手を出したり、精神的疾患に陥ることもきわめて類似性があるといえる。
『チェルノブイリの祈り』(松本妙子訳 岩波書店)では民衆の声を採録して、並列的に記載するルポルタージュで当時の社会の実態を描き出している。
この書はチェルノブイリ原発爆発事故で、放射性物質による大量の放射線被ばくを受けたベラルーシの民衆の生の声である。
目に見えない「放射能」への恐怖と無知に由来する「デマ」や「差別」行動に翻弄される醜い姿が描かれ、 それが死と隣り合わせであっても、愛する土地、家畜、家族から離れられない民衆の深い悲しみの姿がリアルに描かれ、ルポルタージュの内容は話言葉でつづられている。
消防士の妻や、事故処理にあたった人たちへインタビューした、真実の体験である。 原発事故の恐ろしさと放射能を浴びた人間がどのような悲惨なめにあうかがよくわかる。
IAEAはひたすら事故を過小評価し、その実態を隠そうとする旧ソ連の政治体制はまるで同じことをする日本政府と東電の関係者の姿そのものを描いていて身につまされる。
記録映画を撮ろうとすると、しかるべき機関からフィルム没収され、撮影されたのは英雄的ヒロイズムばかり。
映画やテレビのカメラマンは何度もカメラを叩き壊され、裁判所をたらい回しにされたほどであったと書かれている。
党幹部は事故を過小評価しようとし、情報はひたすら隠す。学者は「食べても大丈夫。健康に害はない」と口をそろえて言い張る。(しかし、党幹部や学者は汚染地区の食物を口にしないし、自分達の子供はきれいな空気のところに送り込んでいる。
日本ではちょうどフクイチの事故直後、東電の関係者が夜中にバスを何だいも連ねてその家族を京都に送り込んだのとちょうど同じことがすでに30年前のチェルノブイリでやられていたのだ。)
さらに経済的理由のため、避難区域はドンドン縮小する。まるで高汚染地区なのに民衆に”早く戻って来い”という日本の行政とまったくおなじではないだろうか。
そして経済的理由のため、食物の放射能基準値を引き上げるということはまさに今日本で同じことが繰り返されているのであり、日本人はチェルノブイリと言う先験事項を全く何も学んでいないということがわかる。
情けないというか、スラヴィストとして自分の責任の重さを思い知らされ、忸怩たる思いに至らしめられる。
さらに、脳梗塞、心臓病で亡くなる数多くの人々、甲状腺を患い、癌になる子供たち、奇形の赤ちゃんや、白血病、脳浮腫になっていく子供たちが描かれ、それらの罹病の因果関係ははっきりしていないと見捨てられる子供たちのあり様は日本の現実そのものと言っても過言ではない。
凄く印象に残っているシーンは、原発爆発後最初に現地に入った消防士が、放射線障害で死の床に臥している時、それを見舞った妻に「君はオレンジが好きだったね。食べて」と枕元のオレンジをすすめる。
すでに夫は高濃度汚染の結果、体から発する放射線によって枕元の「オレンジ」は「オレンジ色」では無く「ピンク色」に変色している。
妻がそれを涙ながらに食べようとしたとたん、看護婦から「あなたは自殺志願者なの?早くここから離れなさい。ここにいるのはあなたの夫ではなく、放射性の物体なのよ!」と怒鳴られてしまうのは凄まじい被ばくの実態が描かれ身につまされる。
1997年上記の衝撃的作品を出版後、アレクシェービッチ氏は2013年まで西欧にくらす。
2013年スエ―デンで新著『セカンドハンドの時間』を出版。この著でソヴェート政権崩壊後もソヴェート的メンタリティーを捨てきれずに過去にベンベンとしている人間を描いて見せた。この作品で2013年カナダの女流文学賞エリス・モンロー賞を受賞している。
其の後、2013年に祖国に帰国している。
作家のドミトリー・ブイコフ氏はガゼータ・ルーのインタビューを受けて、アレクシェービッチ氏が
ア・アダモビッチ氏の良き弟子であること、また20世紀の悲劇、カタストロフィ、戦争、個人的悲劇を描くときは美辞麗句を用いるべきではないことはアダモビッチ氏と同様に考えられ、その言葉通りに実践されていることはすばらしいと指摘している。また受賞における重点は、テキストの持つ社会的意義であり、その芸術的価値は第二義的であると言いきっている。
さらにブイコフ氏は「彼女はオピニオン・ジャーナリズムを身につけている。彼女の作品の中に美的洞察力を探すことはナンセンスであり、新しい叙述的な技巧を駆使しているのだ」と評している。
スエ―デン・アカデミー総裁は受賞の意義を次のように語っている。「ただ筋を述べるのではだめだ。アカデミー賞を受賞するには新たな文学資源が必要である。アレクシェービッチ氏はこうしたイノヴェーションを体現させている。」と高く評価した。
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