ロシア沿海州事情 -研究こぼれ話 (3)

 

 

 

研究こぼれ話 (3)

 

 

毎月二万ルーブリ余分にあれば大学にいけると言う話まで相談した。そして通訳か何かになって日本を見聞したいのだという。それは言いねと言うとその場合には離婚しないとだめだと言い出すのでこっちが驚いてしまう。4時間も待ち時間のある間、彼は自分が兵士としてチェチェンに召集され、人殺しをしたということで、二回も英雄賞をもらったとのこと、その記念のバッジと証明書もみせてくれ、いかにロシア人と付き合うか、その付き合い方まで伝授してくれるのだ。彼の考えだと、ロシア人と一番懇ろになるにはこれだと一指し指を喉のところで丸めてはじくのだ。例のウオッカを飲むときのロシア人特有のしぐさだ。「それをやればトコトンよく知ることが出来るんだ。ロシア語なんかくそ食らえ~というのだ。」ほ~と純粋ロシア人とは角度の違うところからの意見に感心した。とにかく話せば話すほどテンションが上がってくるので、離婚でもされると困るので、翌日ヴラゴに着いてアムール越えをするときに会うということで、約束は曖昧なままにわざとしておいた。彼の話からまとめると、彼はチェチェンに出兵させられて二度も英雄賞を貰ったにもかかわらず、その報酬は微々たる物で不満足。察するにベトナム戦の時の黒人と同じで、最前線に立たされるが、その処遇は悪く差別されていると言う不満と同質のものを感じた。危険な仕事なのに彼のようにきっかいな顔したー白人ではない浅黒い(ロシア語ではスムーグリーという)人間―ロシア社会の中では伝統的には肌の差別はないが、中国人とロシア人との合いの子という区別はあるのかもしれない。そういう人間が純血種のロシア人と異なる処遇を受けるのもむべなるかなという感想をもった。周囲を見回して、薄々感じ取っている処遇や学歴のない不遇感は37歳の男にはひしひしと感ぜられたのであろう。一介の旅人のサジェスチョンで離婚でもされると大事なので翌日の約束はあえてしなかった。それが不満なのか、その後電話をかけても応答なしだった。それでいいのだと今でも思っている。広いロシアには彼のような人間は無数にいることだろう。ひょっとした運命や出会いのなせるわざだ。

次の場合は中国人の移民の周さんの場合である。中国東北から仕事でウラジオストックに居ついてもう20年になる。最初は小さな雑貨の行商をしていたが、小銭を貯めて現在のロシア人の奥さんとスーパーで知り合い結婚し、一女の父親である。彼は蓄財に蓄財を重ね、ウラジオでは家賃のとても高い中心部のアパートの一階に広々 (続)

 

 

 

 

 

 

 

9月 8, 2014

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