ロシア沿海州事情 -研究こぼれ話 (2)
研究こぼれ話 (2)続
~は厳しく取締りを始め中国人の営業活動も制限を設けるなどし始めたので、一部の中国人を除き、現在はその刃傷沙汰は沈静化したという。
刃傷沙汰を引き起こすような中国人の一団は今や、シベリア鉄道の沿線にあるエカチェリンブルグに移動し大きなマフイアまがいの一大勢力として闇の世界に君臨しているそうだ。(ハルピンの経済学者の話)黒龍江省からの移民中国人にきいてみると、ロシア人はちっとも働かないのだという。自分たちが食うや食わずで一生懸命汗水たらして働き、5~6日で済ます仕事量をロシア人はチンタラ、チンタラ10日間くらいかけなければ終わらないとのことである。
「別にいいんだろ。彼らは金持ちだから」と言うのが黒龍江省の中国人たちの感想である。それはロシア人が怠慢と言うよりそういう作風が身についているのだからしかたがないのだ。東洋人に比べれば、不器用で仕事は時間がかかるのはしかたがないかもしれないのだ。
中国人は確かに勤勉だ。ヴラゴヴェシチェンスクの街中を歩くと、何件も中華料理店を見かける。経営者は中国人できびきび働いている。来るのは大食漢のロシア人ばかりで結構散財しているのだろう。
私がたまたまシベリア鉄道の発着駅ウラジオストックで知り合ったユーリー・ミハイロフ(仮名)氏は中国人とロシア人の間に出来た混血の人であった。風貌はチェチェン人のような半分アラビア風のどこかエキゾチックな顔つきで痩せぎすの眼光鋭い感じの人であった。父親はハルピンからこの地に渡り、農業を営み、母親は地元のロシア人であった。ユーリー氏は年に何回かはハルピンの祖父の家に行くが、祖父とは中国語で話すが、中国語は全く書けないとか言っていた。彼は専門学校は出ていたが手に技術はなく、現在はタクシードライバーをして稼ぎ、奥さんはウクライナ人でスーパーの臨時店員をして家計補助、中一の娘が一人、生活は豊かではないが、それなりの小市民生活を営んでいる。がもっと専門職につき、一度札幌に言った経験から是非東京を見たいというのだ。ウラジオストックの汽車待ちの長い時間、古びた駅舎のベンチに座って彼の身の上話をじっくり聞いた。人間としてもっと学歴をつけ、異なる世界を見聞し、人生の幅を広げたいと言うのが彼の願いだ。色々相談に乗ってやり、
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