翻訳

チエホフと夏葉

チエホフ

「月と人」チエホフ 新小説 明治三六年 八月

夏葉は明治三五年以来初めてツルゲーネフの小品を世にだして以来精力的に翻訳活動を続けた。とりわけ師の紅葉亡きあとのおよそ八年の間に(明治三七年から明治四四年にかけて)若干のトルストイやツルゲーネフ、ゴーリキーの作品をのぞいてすべての力をチエホフの小説の翻訳に注いでいる。次にこの間の翻訳リストをあげてみればチエホフの占める割合が如何に高いかがわかるであろう。(発表順にとりあげる。)

  • 「投書家」ツルゲーネフ 新小説 明治三五年 三月
  • 「されこうべ」ツルゲーネフ 俳薮 明治三五年 五月
  • 「アンナ・カレーニナ」 トルストイ 文薮 明治三五年 九月
  • 「写真帖」 新小説 明治三六年 十月
  • 「貧しき少女」ドストエフスキー 文芸倶楽部 三七年 四月
  • 「叱」 チエホフ 心の花 三七年 七月
  • 「里の女」チエホフ 文芸倶楽部 三七年 七月
  • 「余計者」チエホフ 新小説   三七年 九月
  • 「艶福者」チエホフ 心の花 三八年 一月
  • 「村役場」チエホフ 心の花 三九年 一月
  • 「虚頼」 チエホフ 婦人画報 三九年 二月
  • 「六号室」チエホフ 文芸界 三十九年 四月
  • 「人影」 チエホフ 婦人画報 三九年 十一月
  • 「たはむれ」チエホフ 心の花 四十一年 一月
  • 「官吏の死」チエホフ 女子文壇 四十一年 四月
  • 「をんな」 チエホフ 文章世界 四十一年 八月
  • 「失策」 チエホフ 露国文豪チエホフ 四十一年十月
    • 傑作集
  • 「良犬」 チエホフ 女子文壇 四十一年十月
  • 「意地悪」 チエホフ 読売新聞 四十一年十一月
  • 「雄弁家」 チエホフ 読売新聞 四十一年十二月
  • 「魔鏡」 チエホフ 愛国婦人 四十二年 一月
  • 「彼女だ」 チエホフ 心の花 四十二年 一月
  • 「申告簿」 チエホフ 読売新聞 四十二年三月
  • 「山小屋」 モーパッサン 現代 四十二年 六月
  • 「煙草の害毒」チエホフ 木太刀 四十二年六月
  • 「馬の苗字」 チエホフ 読売新聞 四十三年 三月
  • 「電車のうえ」クープリーン 読売新聞 四十三年六月
  • 「アンナ・カレーニナの一節」トルストイ 読売新聞 四十三年十二月
  • 「クリミア物語」ゴーリキー 読売新聞 四十四年一月
  • 「桜の園・附叔父ワーニャ」チエホフ 新潮社   大正二年四月
  • 「最後のモギカンの女」チエホフ 処女 大正二年 十二月

なおこれ以外に「青鞜」にいくつかの戯曲と小説の翻訳、その他を発表しているが、それらについては後述する。

さて夏葉のチエホフ翻訳文についてふれる前に夏葉が翻訳にあたってどの様なテキストを使用したかについて若干触れてみることにする。

チエホフの作品集を古い年代順にリスト・アップすると次のようになる。

  • ・メリポメネ物語・(一八八六年)
  • ・雑話集・(一八八六年)
  • ・たそがれに・(一八八七年)
  • ・短編集・(一八八八年)
  • ・陰気な人々・(一八九〇年)
  • ・戯曲集・(一八九七年)
  • ・作品集・(一八九九ー一九〇一年)
  • ・全集(一九〇三年 マルクス社刊、同社の雑誌・ニーワ・の付録としてだされる。)

前掲の翻訳リストのとうり、夏葉が初めてチエホフの作品「月と人」を発表したのは明治三十六年八月であったので、同じ年にでたマルクス社刊の・全集・を使用することはかなり困難であったことが推定できる。従ってもっとも実現性の高いのは・作品集・を使用したことの可能性であろう。ただしこれは小説の場合であって、戯曲となると、異なってくる。・青鞜・に発表した戯曲を見てみると、まず、「イワーノフ」、「叔父ワーニャ」は・戯曲集・(一八九七年)にもとずいており、「桜の園」は一九〇四年の初版の単行本に依拠していることがはっきりしている。なぜなら一九〇四年の初版本は明確な検閲をうけており(チエホフ全集十八巻 一九七八年 モスクワ版 四七二ページ)  夏葉の訳したテキスト内にもその明確な痕跡を見ることができるのである。なお、ソヴェート版二十巻全集やその後に出された十二巻作品集は一八九九年ー一九〇一年に出された・作品集・の作品をそっくりそのまま載せており、それらのベースになっている。 

時代を先取りする

夏葉が『青鞜』に載せた翻訳およびその他は次のとうりである。(このうち戯曲はすべてチエホフのものである。)

戯曲
・叔父ワーニャ二巻 二、三、四、五、六、七、八、号
連歌
・宝玉二巻八号 ( 明治 四十三年)
評論
「新しく世にでたチエホフの書簡」二巻九号(明治四十三年)
小説翻訳
「東北風」二巻一二号 、三巻一号、二号(明治四十三年ー四十四年(プヂーシチェフ作)
戯曲
・桜の園 三巻 三、四、五号(明治四十四年)・イワノフ三巻六、七、八、九、一〇、一二号(明治四十四年 四巻 一、二、五号(明治四十五年)
小説翻訳
・紫玉・ 四巻 九、一〇号(明治四十五年)(プシブイシェフスキ作)

『青鞜』・は一九一一年(明治44年)女だけの女向けの文芸同人誌として生田長江によって九月に発案され、一九一六年二月に終刊した孤立した女性作家の糾合が其の発端である。この間欠号は二回のみで、毎月一回ずつ発行され続けた。創刊号に載ったらいてうのエッセーの一節「原始女性は太陽であった。真正の人であった。今女性は月である。他によって生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。」によって『青鞜』の名は歴史に残ったのである。この時青鞜という名前は生田長江から授かり、ブルー・ストッキングからの直訳であった。この名はもともと一八世紀後半のイギリスの社交界である女性が伝統を破って青い靴下をはいたことからそのようにいわれたらしいがさだかではない。一九世紀にはいると半ばからかい半分に女権論者を呼ぶ名前になったようである。

「もはや女性は月ではない。」と高らかに宣言したらいてふの言葉によって近代日本における大いなる女性解放宣言となったのである。『青鞜』の名は歴史に残った。しかし、らいてふのこの女権宣言は必ずしも論理性をそなえたものではなく、其の自己超越の方法は禅などの影響による観念論のうえにたっていた。女の解放は外的条件を整えることではなく、「現実を切り捨て、想念の世界に飛び立ち、自らの闇を一枚、一枚剥ぎ取り、それ自体発光体となった時、女は月ではなく、太陽だ」というのである。この傾向は現実を冷静に分析する事により、到達したものではなく、むしろ情念的に訴えかけることにより現実を乗り越えことで、一種の呪術的な力を持ちえたのであった。

性の自由と解放を標傍した『青鞜』は文学雑誌としてのスタイルを基礎にしながらも何人かの社会改良家を育成したことからもより可能性を含んだ雑誌であったといっても過言ではない。らいてふは一九一四年中央公論に「新しい女」を書き、新しい女は古い道徳にけっして縛られない、古い法律を放棄しようとしていると宣言し、社会的に大きなセンセイションをまきおこした。

この頃から社会主義者福田英子の評論が掲載されると、この評論掲載のため『青鞜』は発禁処分をうけた。らいてふ自身も婦人問題の根源を社会的な視野から見ていこうとする視点がみられ、エレン・ケイの『恋愛と結婚』などを継続的に翻訳している。またこれと平行して、講演会を何度も開き、女性問題を社会問題として位置づけようとした。

夏葉が『青鞜』に賛助会員として参加したのは第二巻第二号の「叔父ワーニャ」の翻訳掲載の頃からである。その頃夏葉とともに活躍した同人には平塚らいてうをはじめ、田村とし子、野上弥生子、伊藤野枝、与謝野晶子、森しげ、長谷川時雨たちがいた。

夏葉は『青鞜』における訳業の中心をチエホフの小説から戯曲に移している。なぜそうなったかのはっきりした理由はわからないが、一つには明治四十二年に小山内薫等によって自由劇場が設立され、翻訳劇等に対する関心が社会的に高まったことにも関係しているといえよう。また「チエホフの短編と脚本」(明治四十三年)の中で夏葉は戯曲もなかなか捨てがたいといっており、戯曲への関心の高さを率直に語っている。また訪露の際には何回もドラマやオペラを見ており、心の中で次第にチエホフ劇を紹介したいという気持ちがわいてきたのかも知れない。(cf.)また四番目には、夏葉はもともとロシア文学を志したそもそものきっかけが、ドストエフスキーの「罪と罰」や、ツルゲーネフの「片恋」を読んだことからもわかるように心理的葛藤の深さや、その解剖の鋭さに心を奪われる方であった。この夏葉の好みを端的に表している文章として次の引用が多くのことを物語っている。「チエホフの短編にはユーモルがあって、しかもその裏には人生の痛ましい悲哀が隠されているといふ風に一般に認められているようでございますが、実際に一読おなかを抱えて笑い転けるといふ類のものが彼の得意とするお手のものなので・・・・

省略・・・チエホフのものは、たいした努力もなくて楽に読めるのですが、それだけ、チエホフには、ドストエフスキーほど心理の解剖が深くないのじゃないかと思われるので、いま一息といふ感じが、チエホフの作品を読む際には始終おこります。(チエホフの短編と脚本ー・文章世界・第五巻第四号 明治四十三年二月)」とし、チエホフの作品を「あっさりとした水のようなもの」と言い、ドストエフスキーのものを「濃い苦い日本茶のようなもの」としている。従って夏葉風の解釈によれば、「あっさりとしたチエホフの短編」にいささか物足りなさを感じていたとしても嘘にはならないであろう。この様な好みが周囲の環境の変化と共に必然的に戯曲の方に向かわしめたとしてもおかしくはないと言えるのである。

次に夏葉の『青鞜』における戯曲の翻訳はどうであったのか、を具体的にみてみたい。例として、 まず『桜の園』をとりあげ、他の訳者のものと比較してみることにする。

(一)夏葉訳:・『青鞜』・・ 第三巻 四月号 一七ページー一八ページ)

トロフィーモフのせりふ: 教育のある社会の、僕の知っている大多数は、大体何もしない、労働 には全く耐えない。自分を教育ある社会の一人に任じてはいるが、しかし召使いどもには、やはりおまえといってよびすてにし、農民などに対しては、禽獣の如くにあしらひ、学事にも励まず、真面目には何も読まない、全く何もしていやしない。学問のことはただ口でいふばかりで、芸術上の知識といったら皆無に等しい。皆真面目そうな、厳重そうな顔をして、さも何か重大そうなことばかりを言っている。哲学何ぞも説いてはいるが、大多数は、百中の九十九までは、野蛮人のような生活をしているのです。何か些かとしたことでも、値に拳を固め殴りあふ。可厭な食物を食って、不潔な、汚れた空気のなかに臥てし起いる。処に南京虫や、煙や、湿気や、不義・・・・そうして我々が善良な説をするのは、ただ自分を欺き、人を欺いているのに過ぎん。よく人がいふ所の養育院はどこにあるのですか、あるなら見せていただきたい。どこに通俗図書館がありますか。そのことはただ小説で読むばかりで、実際にはないのです、あるところのものはただ不潔と、ろう劣と、野蛮のみです・・・だから僕は余り真面目な顔つきだの、まじめな話をおそろしくもあるし、大嫌いです、むしろ黙しているにしかずです。

(二)米川正夫訳:(チエホフ選集 第五巻 小山書店 昭和二四年 二三七ページ)

僕の知っているインテリゲンチャの大部分は、なにものも求めなければ何一つ仕事もせず、労働に対しては今の所無能です。彼らは自らインテリゲンチャと称しながら召使いに向いては「お前」と呼びすてにするし、百姓等はまるで動物扱いにして、ろくすっぽ勉強はせず、真面目に読書ということもしない。全く何一つしないで科学もただ口先で云々するだけだし、芸術のことだってろくろくわかりゃしないんです。そのくせみんな真面目で、みんな厳粛な顔をして、みんな高尚なことばかり言って、哲学者気取りでいますが、それでいて我々の大多数は百人の内九十九人まで、まるで野蛮人のような生活をして、ちょっとどうかすると、すぐ噛み合ったり、悪口をつきあったりします。そして嫌らしいものを食べて、汚い息の詰まるような所に寝て、いたる所南京虫と、悪臭と、湿気と精神的な不潔がせいかつを支配してる・・・・こういう訳で我々の口にする美しい話は、みんなただ自他のめをごまかす為にすぎないのです。それはもう見え透いています。現にこの頃やかましい労働者の小児あづかり所は、いったいどこにあるんです?国民図書館はどこにあるんです?一つ教えてくださいませんか。そんなものは小説にかいてあるだけで、本当はまるでありゃしない。あるものはただ垢と、凡俗とアジア風の生活ばかりです・・・・僕はあまりくそ真面目な顔が、恐ろしくもあれば、嫌いでもあります。僕はくそ真面目な話を恐れます。それよりいっそ黙っていたほうがいい。

以上夏葉訳と米川訳は一九〇四年の初版本に依拠しているが、次の神西 清訳は一九〇四年版とそれ以外のものとを対比させているので両方引用してみる。

神西 清訳:(チエホフ全集一二 昭和四三年 中央公論社 三七六ページ)

僕の知っている限り、インテリの大多数は、何一つしもせず、さしあたり勤労に適しません。インテリなどと自称しながら、召使いは「貴様」よばわりする、百姓は動物扱いにする、ろくろく勉強もせず、なんにもせずに、ただ口先で科学を云々するばかり、芸術だってろくにわかっちゃいない。みんな真面目腐って、さも厳粛な顔つきをして、厳粛なことばかり口にし、哲学を並べているが、*その一方彼ら一人一人の眼の前では、労働者たちが酷いものを食い、一部屋に三十人四十人と枕もしないで寝ている。(その一方以下一九〇四年版に依拠すると次のようになる。: その一方、我々の大多数、百中九十九までが、野蛮人みたいな暮らしをして、なにかといえばーすぐぶんなぐる、罵倒する酷いものを食って、息の詰まるような汚いところに寝て)、どこもかしこも南京虫と、鼻をつく悪臭と、酷い湿気と、道徳的腐敗ばかりです。・・・で、我々のやるれいれいしい会話はみんな、ただ自分や他人の眼をくらまさん為であることは、言わずして明らかです。一つ教えていただきたい、あれほどやかましく喋喋されていた託児所は、いったいどこにあるんです?読書の家は、どこにあるんです?それは小説にでてくるだけで、実際は全然ありゃしない。あるのはただ、泥んこと、俗悪と、アジア的野蛮だけだ。・・・・僕は真面目腐った顔つきが身震いするほど嫌いです。真面目腐った会話にも、身震いがでる。いっそ黙っていた方がましですよ。(上記下線はすべて筆者が付す)

夏葉訳も米川訳もテキストは一九〇四年版使用のため下線の部分の「大多数は百人中九十九人・・」の訳は共通している部分がある。もっともこの一九〇四年版は大幅な検閲をうけているために両者の翻訳部分は内容的には検閲以前の内容とは百八十度違ってしまってるがそれは訳者の責任ではもちろんないことは明白である。 訳文中の、「我々の大多数は百人中九十九人までがまるで野蛮人のような生活をして、・・・・」の主語・我々・はこの文のコンテキストから言ってインテリととらせているが、実際は原書からもわかるように労働者のことであり、そこにすり替え作業が明らかにおこなわれているのである。この主語のすり替えによって、チエホフの本当に伝達したかった意図は見事にはぐらかされてしまっている。夏葉の訳は他の訳と比較しても原文に忠実で遜色はないと断言できるが、米川訳より四〇年も以前の訳業であるので、表現も語彙も仮名使いも古めかしいのはいたしかたないであろう。たとえば下線の養育院とか、共通図書館とかわかりにくい用語も使用しているが、紅葉ばりの美文調はすっかり影を潜め、一つ一つの文章が短くなって口語訳に近くなっているのが特徴的といえる。また上記の文の終わりから三行目の箇所ーー有るところのものはただ不潔と、ろう劣と、野蛮のみです。・・・・の箇所の原文では、азиатчина という言葉がついているが、そこを極めて簡潔に「有るところのものは・・・・・野蛮のみです」と結んでいるところから、野蛮という言葉によってアジア的な意味を包含させてしまっていると思いこんでいるのか、或いは硯友社的な言葉の調子を重んずるという習慣から字余り的なダブリを避けたためか、または明治三十七年の日露戦争において日本が戦勝国になりその余波をかりて、四十三年の日韓合併条約にこぎつけるというアジアにおける日本の覇権主義的な上昇志向のムードがアジアイコール野蛮というイメージを忌避させたのかも知れないのである。或いは神の摂理の下にはすべてのものが平等というキリスト教的な原理に基づいてアジアという言葉を使わなかったということも考えられる。いずれにせよ、三者の訳を比較すると、米川訳では、アジア風の生活となっていて少々意訳になりすぎているし、池田訳ではアジア的野蛮となっており、説明的ではあるが、азиатчинаという言葉には”文化的に遅れているという意味はあってもアジア的な意味あいはなくすでに廃語になっていること”からもわかるように夏葉の訳が如何に的確で無駄のないものかがわかる。

次に別の箇所の三者による翻訳をもう少し比較検討してみることにする。

(一) 夏葉訳:(『青鞜』・『桜の園』二四ページから二五ページ)

・・・アーニャ様、あなたの祖父や、曾祖父、またすべての先祖方は生きた人間を所有物にしていた地主たちでした、さうして庭の桜の木の一本毎から、一枚の葉毎から、一つの幹の間から、皆人が、つまり人の存在があなたをにらんでいるじゃ有りませんか、あなたにはその声声が聞こえませんか・・・・・いやしかし、これは恐ろしいです、あなたの庭はものすごいです、さうして晩や、夜更け
から、庭のなかをとうると、木木の古い皮がぼんやりと光っていて、ちょうど桜の木木が、百年、二百年前に有ったことを夢に見ているかのようです、おそろしいなにか幻影が桜の木を悩ましているかのやうです。なんとひはう!

(二) 米川訳: (チエホフ選集 『桜の園』二四二ページから二四三ページ)

・・・あなたのおじいさんも、曾祖父さんも、あなたの先祖はみんな地主で、生きた魂を自分のものにしていたのです。本当にこの国の桜の木一本一本から、桜の葉一枚一枚から、生きた人間があなた方を睨みつけていないでしょうか?一体あなたにはその声が聞こえませんか・・・おお、恐ろしい、あなたの家の庭は恐ろしい。よく夕方か夜中に庭を歩いていると、桜の木の古い皮が鈍く光って、何だかその木が二百年もあったことを夢にみながら、重苦しい幻に苦しめられているやうな気がします。いや、何もいふがものはありません!

(三) 神西清訳:(チエホフ全集 『桜の園』三八〇ページから三八一ページ)

・・・アーニャ、あなたのおじいさんも、曾おじいさんも、もっと前の先祖も、みんな農奴制度の賛美者で、生きた魂を奴隷にして、絞り上げていたんです。で、どうです、この庭の桜の一つ一つから、その葉の一枚一枚から、その幹の一本一本から、人間の眼があなたをみていはしませんか、その声があなたに聞こえはしませんか?・・・*生きた魂を、わがもの顔にこき使っているうちにーそれがあなたがたをみな、昔生きていた人も、現在生きている人も、すっかり堕落させてしまって、あなたのお母さんも、あなたも、おじさんも、自分の腹を痛めずに、他人の懐で、暮らしていることにはもう気がつかない、ーーあなた方が控え室より先へはとうさない連中の、懐でね。(*以下は検閲以前の文章である。一九〇四年版に従えば (一)と(二)のその声が聞こえませんか・・・・以下の表現になる。)

(一)(二)(三)の下線の部分を原文と比較させると、(三)は原文にない言葉を補ってやや説明的な訳文にしているが、(一)と(二)はほぼ原文に忠実に訳しているといえよう。但し、(二)の米川訳は下線部以外の文が検閲を経ていることからかなり内容がぼかされており、そのうえ、 живые души を 生きた魂と抽象的に訳しているので文意を把握するという点で、余計読むものにはわかりにくい訳文になってしまっている。これに対して夏葉訳は живые души を生きた人間とはっきり訳し 、また владевшиеを米川訳は自分のものにしていたという表現でやや柔らかいものにしているが、夏葉訳では・・・を所有物にしていた地主と訳し、実に原文に忠実な明快な訳になっている。故に後に検閲文が続き、作者が言いたかった全体の文意はねじ曲げられてしまうのにもかかわらず、夏葉の下線部分の訳が妙に生きているといわざるを得ない。このようなところに夏葉の性格の律儀さとロシア語力の確かさというものを感じさせられるが、これはあくまで語学上の律儀さであって夏葉のイデオロギー上の見識の高さを示すものではないことは言うまでもない。ともあれ結果的には夏葉はチエホフが思想をできるだけ排除しながらも、現実への透視をおこたらなかった姿勢の一端を余すことなく伝えているのである。

夏葉の原文に忠実に訳すという姿勢は『桜の園』にのみあらわれたものではなかった。・青鞜・の中の他の戯曲にもその姿勢は貫かれている。そこには初期短編にみられるように単に調子を整えるための語呂合わせや、書き足し、ないしは大幅な省略、削除はも早見られない。小説と違って会話と会話、ロジックの積み重ねによってできた戯曲という性格上の違いもあるのかも知れないし、硯友社的な美文調の長々しい雅文体が以前に比べて殆どみられず、できるだけ口語に近づけようとする夏葉の努力が文体のうえにも表れたともいえよう。具体的に『叔父ワーニャ』や、『イワーノフ』を参照してみよう。

夏葉訳: アーストロフの台詞
君は暖炉を焚くには、泥炭でもできるじゃないか。小屋を建てるなら石でもよかろう。而して僕が仮にここで一歩を譲って、必用の為なら林を伐るのも敢えてこばまんとしてだ、しかし何のためにそれを乱伐するのか、露西亜の深林は斧の響きのもとに伐りさかれている。みだりに巨万の樹木は伐り倒されている。獣類や鳥類の居所は荒らされて、川は浅くなって水は涸れる、美しい景色は去ってまたかえらんのだ。これは皆人間が怠者で、身を屈めて地中から燃料を取り上げるといふだけの精神がないからだ。(エレナ・アンドレエヴナに向かって)奥様本当じゃありませんか、われわれみずから造ることのできない、そのものを破壊して、この自然の美を暖炉の中で焼いてしまうなんぞは、よほど無知な野蛮人とならなければならないわけでしょう。人間は自分に与えられたところのものを、益殖やして行くために、知恵と、創作力とを固有しています。しかし今日に至るまで、何にも創作力を用いないのみならず、強いて破壊を敢えてしているのです。

池田訳:ストーヴなら泥炭を焚けばいいし、小屋なら石でつくればいいじゃないか。もっとも、必要とあらば、木を切り出すのに反対はしないが、わざわざ森を根だやしにする必要が、どこにある?今やロシアの森は、斧の下でめりめり音をたてているよ。何十億本という木が滅びつつあるし、鳥や獣の住処は荒らされるし、川は次第に浅くなって涸れて行くし、素晴らしい景色も、消えてまたかえらずさ。というのも、人間という奴が元来不精もので、腰を曲げて地面から焚きものを拾うだけの才覚がないからさ。(エレーナに)そうじゃないでしょうか、ねえ、奥さん。あれほど美しいものをストーヴで燃やしちまったり、我々の手では作り出せないものを滅ぼしてしまうような乱暴は、よっぽど無分別な野蛮人ででもない限り、できるはずは有りませんよ。人間はものを考える理性と、ものを創り出す力とを、天から授かっています。それでもって、自分に与えられているものを、ますます殖やしていけという神様の思し召しなのです。ところが、今日まで人間は、創り出すどころか、ぶちこわしてばかりいました。

下線部分の夏葉訳は巧みに言葉を補って訳した池田訳に比べると必ずしもこなれた上手な訳とはいえないが、少なくとも原文にそって忠実に訳そうという姿勢がここでも表れている。また何よりもチエホフが提起した極めて今日にも通ずるような環境問題を現代の日本語に近いようなスタイルで表現させているところに夏葉の訳文にたいする並々ならぬ努力と真摯な姿勢を認めざるをえない。

同様の原文に対する忠実さは次の箇所にもみられる。

『叔父ワーニャ』(原文 チエホフ全集 モスクワ版 一九七八年 九一ページ)

夏葉訳:ワーニャの台詞ー  何も躊躇することは有りやしません(元気よく)。え、もし、我輩の愛する大事な人!もっと利口になりなさい!あなたの血管にはルサルカ(水に住む女の霊)の血が流れています、ルサルカにおなりなさい!而して一生にただ一度でも自由を得てみなさい。水神の誰にか首丈惚て、一所におもふさま、水の深みへザンブリと計りに飛び込みなさるがいい!而して教授や、我々があっけにとられて、あいた口が閉がらんやうにしてお見せなさい。

神西清訳 :何をくよくよなさるんです?(声を励まして)ねえ、僕の大事なエレーナさん、せっかくそれだけの器量をしてさ、もっと利口になるものですよ!あなたには魔性の血が流れている、いっそのこと魔女になっておしまいなさい!せめて一生に一度は、おもいっきりやってごらんなさい。さあ早く、魔物みたいな男の誰かに、首ったけ惚れてご覧なさい。教授閣下をはじめ、我々一同が、(両手をひろげて)こうあっけにとられるぐらい、ずぶりと深みへはまってごらんなさい!

この場合神西訳のルサルカに対する訳語は余りにも意訳しすぎて原文の雰囲気をこわしているようにみうけられる。

夏葉のチエホフの戯曲は一九一四年(大正三年)の『青鞜』四巻への『イワノフ』の翻訳で終っている。その翌年一九一五年,二月二十八日に夏葉は急性肺炎のため四十一歳の若さで没した。四男葉一を出産してから五日後であった。三月二日ニコライ堂で葬儀がいとなまれ、雑司が谷の墓地に埋葬される。

その年恪三郎は一身上の都合を理由に神学校の校長を辞職している。夏葉の「不倫事件」は世間の眉をひそめるばかりの「醜聞」や、投書によって教内では頭痛の種になったのだ。その責任を取る形で辞めたといえるであろう。世間からは不義密通の妻に離縁状もたたきつけられない優柔不断の夫として烙印を押され、よくその重圧に彼は耐えたといえるであろう。

夏葉は紅葉の門下生になった一九〇一年から死去する一九一五年のわずか一四年間におびただしい量の翻訳を世に出し、日本初の女性のロシア文学者としての名を確立させた。研究者の中には翻訳を夫の瀬沼氏がやったのではないかという疑念をいだくむきもあるが、その証拠がないからあきらかにはできないであろう。ただ筆者が、夏葉訳のチエホフの戯曲のひとつ、ひとつを詳細に分析してみると翻訳の先を急いだせいか、ごく稀ではあるが、初歩的なロシヤ語文法や、語法を間違えている箇所もある。

初級ロシヤ語文法やロシヤ独習法、趣味のロシヤ文法講話など数々のロシヤ語教則を出版している恪三郎が翻訳していたら絶対ありえないミスもあるので夏葉の代わりに恪三郎が全面的にやったというのは現実にはありえないであろうというのが筆者の結論だ。

杉山秀子(すぎやまひでこ)
早大,法政大非常勤講師を経て、八八年より駒澤大学教授。
専門はロシア文学、比較文学・文化。著書に「コロンタイと日本」(新樹社)その他。


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