5月 24, 2013

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5.28田中マリ子「​残留孤児体験、文革」 14:00

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 5月度東北フォーラムのお知らせ         

                        (一社)国際善隣協会 東北委員会  

 1972年の日中国交正常化以降、帰国した日本人は2500人に上っています。帰国後の残留孤児の皆さんは日本語の習得や経済的自立の問題を抱え、毎日懸命に生活をしておられます。今回はその中でも中国において文化大革命を経験してから帰国された田中マリ様に体験談をお話して頂きます。

 皆様お誘いあわせの上、ご来聴をお待ちしております。

 

                   ー記ー

◆テーマ:「私の中国残留孤児としての体験からー文化大革命を乗り越えてー」

 

◆日 時: 2013年5月28日(火)14:00~15:30 

 

◆講  師:田中マリ子氏

ご参考:(毎日新聞昭和61108)の記事にも「残留婦人『日本国籍』願いかなう 15才で終戦援護行政の谷間に(田中マリ子)」がありました。

上記の問題での、国会の質疑を文末に掲げました。

 

◆司会: 大野妙子 氏

場所 : 国際善隣協会 5階 会議室 

    港区新橋1-5-5 tel:03-3573-3051

JR新橋駅銀座口から3分、東京メトロ銀座線新橋駅1番出口から1分、外堀通りの野村證三井住友銀行小路左折、突たりの魚料理「さかなのまんまがある国際善隣会館ビルの        http://www.kokusaizenrin.com 「交通」図参照  協会員以外のご参加、出来るだけ事前 氏名、所属、(メールアドレス)、等のご連絡をおいいたします  (出席通知は、多少不確定でもお送り下さい)   メール:fukutomi@kokusaizenrin.com 事務局:福富TEL:03-3573-3051 

 

昭和61年10月9日衆議院社会労働委員会から

河野(正)委員 そこで、援護行政の欠陥を指摘したいのですが、最近、田中マリ子さんという五十六歳の御婦人が日本国の国籍を取られた。ところが、(終戦時13才以上では)これが第二号なんですよ。二人目なんですよ。とにかく肉親と会おうと思って訪日したけれども、肉親と会えない。しかし、日本に帰りたい。ところが日本国籍を取るのは非常に難しい。やっと今度東京家裁で出たのが二人目ですよ。ところが、今日中国に残留する御婦人が大体四千人おられると言われているわけですね。そのうち八百人は日本の国籍がないわけですね。ぜひ日本に永住帰国したい、ですけれども国籍がない、・・・。訪日をした、肉親捜しをやった、残念ながら肉親とめぐり会うことができなかった、しかし帰って日本人として再出発したい、がなかなか難しいという状況があるわけですね。一体厚生省はどういう御見解でいらっしゃるのか。 木戸政府委員 先生御指摘の残留婦人の問題でございます。また、今具体的に御指摘がございました田中マリ子さんの件でございますが、私どもはやはり残留孤児の方以外にも「残留婦人」(当時13才以上)という援護すべき対象の方がいるのは承知をしているわけでございます。  それでまず、田中マリ子さんという方は孤児ではないか、孤児と同じような処遇ができないか、こういう問題でございます。私どもは一応は孤児の訪日調査という点につきましては、二十年の八月九日、ソ連が参戦した以後のいわゆる動乱の時期に、両親が日本人である孤児が生別あるいは離別をしたということでございまして、そのときに一応めどとして十二歳という線を引いたわけでございますが、この十二歳は何でも十二歳でなければいけないということではないわけでございまして、そこは弾力的に対処してまいらなければいけないと思います。  残留婦人の方々が日本の国籍がないという点も承知をしているわけでございます。訪日調査の結果を得て、日本に帰国をして所沢の定着促進センターに入っていただく、こういう点は一応孤児という限られた人に目安を立てまして行政を進めているわけでございます。残留婦人の方々につきましても、今の訪日調査とかあるいは定着促進センターへの入所という点を除きますれば、帰国の旅費の支給、あるいは帰ってきた後の生活の自立までの帰還手当の支給、あるいは生活が困られた場合の生活保護の適用等につきましては、必要に応じて孤児と同じように処遇をしてまいるつもりでございます。  「就籍」の問題につきましても、実は孤児につきましてもそういう問題があるわけでございます。この就籍の問題は、家庭裁判所の審判ということでございますので、全部厚生省でというわけにはまいりませんが、本人が日本人として定着、自立をするためには、国籍が必要だとわかっていますので、最高裁事務当局等にも、援護行政の流れ等も伝えながら、就籍が迅速にできるように努力をしてまいます。 河野(正)委員 今十二歳線引きの問題が出てきましたけれども、十二歳までは残留孤児としていろんな財政措置が、旅費なら旅費が支給されるわけです。ところが十三歳以上は、「残留婦人」の方々ですが、日本に帰っていこうと思っても、今度の田中さんのケースもそうです、やはり自費で帰ってくる。そして日本に永住したいと就籍の申請をされて判決が出たわけですね。要するに、中国にとどまっておって、戦争というものがなければ問題はないわけです。十二歳まではよろしいが、十三歳以降は、戸籍を持っていない方がいらっしゃるわけですから、何とかして自分は日本人だから戸籍を持ちたい、日本国籍を持ちたい、日本人として頑張りたい、しかしそれは全部自費で来なければならない、こういう差別。・・・・なぜこの田中さんなんかちゃんと面倒見なかったのですか。おかしいでしょうが。ボランティアが随分お願いしたが、行われなかった。だから中国でいろいろ働いて三年間も金をためて日本に来た。新聞でも報道されておるのですね。

 十二歳線引きはおかしいぞという議論はお聞きになっておるでしょう。それに対し一体どうするんだ。とにかく、「残留婦人」だけで四千人いらっしゃる。八百人ぐらいは戸籍がない。自費で来なければならない。十三歳以降も、実質的には同じでしょう。それが血の通った行政ではなかろうかと思うのです。この線引きはやめた方がいいと思うのです。 木戸政府委員 ・・・一応の目安でございまして、私どもは十二歳以上の人は全くその援護の対象にしないということではないわけでございます。  それから、御指摘の田中マリ子さんの件でございますが、正直に申しますと、私どもも、この方がボランティアの方々の努力において、その結果就籍されたというのは、実を申しますと、入国をされたとき私どもの方にはその情報はなかったわけでございます。先ほど申し上げましたように、残留婦人につきましても、訪日調査あるいは定着促進センターを除きますと、帰国者に対し旅費の支給とか帰還手当支給は平等にしていきたいと考えておるわけでございます。 河野(正)委員 それでは大臣、ここで一つ確認しておきますが、もう十二歳線引きはおやめになる、こう理解してよろしいですか。 斎藤国務大臣 十二歳の線引きは、中国残留孤児の肉親捜しの際の、一応の目安としておるものでございます。でありますので、柔軟に対応し、孤児の皆さんが肉親捜しができるようにしたいと思います。 河野(正)委員 大臣、そうじゃないのですよ。十二歳はそれでいいのですよ。ところが十三歳以降はだめなんですよ。これは恐らく自分の意思で残っておったのではないかというようなことが発想としてあろうと思うのですよ。であるけれども、十二歳以下の孤児も、今まだ中国に残留しておるそういった方々も、やはり立場は同じですから、金の出どころは今の制度の中では違うかもわかりませんね、要するに、十二歳までは例の基金ができて基金から金を出したりなんかしていますから。でしょうけれども、この十三歳以上でも、就籍を希望して日本に帰りたい、こういう方々については、旅費を支給するとか、孤児と同じような措置を別途でもできるわけでしょう。先ほど局長はそれはケース・バイ・ケースでやりますと言っている。やるならこの際、私が言っているのは、残留孤児が十二歳までだからそれをということじゃなくて、要するに、そういう財政的な援助を受ければいいわけですから。十三歳以上も残留孤児と同じように、旅費の支給とかその他の経済的な面の面倒を見るということを確約してもらえればいいわけです。そこを言っているわけです。 斎藤国務大臣 残留婦人等の今お話がございましたが、当時十二歳以上の方々の帰国について、帰国旅費とか帰還手当とかいうものについては支給をいたします。 河野(正)委員 確約いただきありがとうございました。恐らくたくさんの方々が喜ばれると思います。

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